冬の空港を出て、レンタカーのエンジンをかけた瞬間、外気との温度差でフロントガラスが白く曇った。年の瀬の北海道は、到着したばかりの旅人に容赦なく冬の洗礼を与える。ワイパーを動かし、じわりと暖房が効き始めるのを待ちながら、僕は北へ続く道に車を向けた。
目的地は、海沿いの小さな街。市場調査という名目ではあるものの、旅の気分が混じるのは否めない。空港周辺の明るい街並みを抜けると、徐々に人家がまばらになり、雪が深くなっていく。
左手には荒れた海が広がり、白い波が冷たい風に切り裂かれるように音を立てている。海と空の境目がぼやけ、どこからが水平線なのか判然としない。冬の北国に特有の、色の少ない世界だ。
雪は朝から降り続いていた。朝は小雪だったが昼には吹雪となり、さらに降り積もったパウダースノーが海風にあおられて横殴りの地吹雪に変わっていく。フロントガラスの景色が一瞬ゆがみ、そして溶ける。
気づけば、世界は真っ白に塗りつぶされていた。
これが、ホワイトアウトか。
学生の頃、スキーに明け暮れていた僕は、雪道運転にはそれなりに自信があった。休みのたびに仲間と山へ向かい、吹雪の峠道を何度も越えてきた。車の滑り方で路面の状態を読み取り、どの程度のアクセルなら安定するか、そんな感覚も身についているつもりだった。
しかし、その経験はあっさり裏切られた。
5メートル先が白に消える。道路も、海も、空も、区別がつかない。ガードレールの影も、対向車の気配も、まるで無重力のように掻き消える。
こんなにも「見えない」という状況が恐ろしいのかと、初めて心の奥がざわついた。
アクセルを踏むのは、前に進む意思そのものだ。だが、その先がどこにつながっているか分からなければ、足は自然とすくむ。エンジン音がやけに大きく響き、ハンドルを握る手が思いのほか強張っていることに気づいた。
そのときだった。前方に、ぼんやりと赤い光が浮かんだ。ゆっくりと進む車のテールランプだ。白い世界にぽつんと灯るその光は、まるで遭難者を導く小さな灯台のようだった。
不思議なもので、光がひとつ見えるだけで、人は「進んでいい」と判断できる。
僕はその灯を頼りに、再びアクセルを踏んだ。
…と、機内誌のショート小説風に書き出してみましたが、ホワイトアウトがなぜ怖いのでしょう。それは、視界から「白以外の情報」が奪われるからです。道路の斜線も、対向車の存在も、障害物の影すら見えません。情報ゼロの状態では、人は前に進む判断ができなくなるのです。アクセルは自然と戻り、速度は落ち、ついには停車するしかありません。
経営も、まったく同じ構造です。
日々の…
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